1分でわかる【光る君へネタバレ37話】あらすじ。まひろの語りで解説します。

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1分でわかる【光る君へネタバレ37話】あらすじ

こちらが1008年の出来事に関する表です。

37話はどうなるか?

楽しみにして下さい。

これ以降は紫式部日記に書かれているように女房たちの争いが描かれるのでしょうね。

1008年(寛弘5年)の秋から1010年(寛弘7年)の正月まで、中宮(ちゅうぐう)彰子(しょうし)の出産が近づく中、いろいろな出来事がありました。この期間の出来事は「紫式部日記」に詳しく書かれていて、とても大切な資料となっています。この日記には、当時の人々がどんなふうに生活していたのかが、生き生きと描かれています。

紫式部日記では、紫式部自身が書いた「源氏物語」に対する人々の反応や、中宮彰子に仕えていた女性たちのことが書かれています。例えば、和泉式部(いずみしきぶ)や赤染衛門(あかぞめえもん)といった同僚の女性たちのこと、中宮定子(さだこ)に仕えていた清少納言(せいしょうなごん)についても詳しく書かれています。さらに、彰子のお父さんである藤原道長(ふじわらのみちなが)や、弟の藤原頼通(ふじわらのよりみち)や藤原教通(ふじわらののりみち)などの貴族たちの話も多く含まれています。

特に興味深いのは、紫式部が同僚たちをどう見ていたかということです。和泉式部については、彼女の才能を認めつつも、恋愛に奔放すぎるところがあると苦言を呈しています。赤染衛門に対しては、先輩として尊敬している様子が見えます。

清少納言については、とても批判的な評価をしています。紫式部は「清少納言は偉そうに見せかけているけれども、中身はあまり良くない。他人より優れているように振る舞う人は、後で見劣りすることになるだろう」と書いています。そして、実際に清少納言が貧しくなり、人々から軽んじられるようになったという話も伝えられています。

また、清少納言が書いた「枕草子」には人々の行動に対する批判が多く含まれており、紫式部の亡くなった夫が批判されたこともあって、清少納言と紫式部の間には確執があったとされています。

このように「紫式部日記」は、当時の人々の生活や人間関係について知るための大切な資料であり、当時の女性たちの生き方や考え方を学ぶことができます。

出来事
1008中宮・藤原彰子が懐妊。
1008土御門殿(土御門邸)では安産祈願のための法華三十講が営まれる。
10084この頃から藤原道長の召人となったのかもしれない。
1008716中宮・藤原彰子が出産のため土御門殿(土御門邸)に里下がり。『紫式部日記』が書き始められる。
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